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1: 名無しさん@ドル箱いっぱい 2016/07/12(火) 07:30:10.18 ID:m0gb1QcU
♪テーテテテ テテテテ!ご じゅう ご スレ目スタートしました!
7: 名無しさん@ドル箱いっぱい 2016/07/12(火) 07:45:59.64 ID:3Ai4pFUp
4.5~4.7号機の頃に10枚交換無制限オール設定6確認OKという店があった
シナ畜のパチ荒らし集団がいた
たまに子供が普通に打っていた
昔はすぐ玉が釘にひっかかった
オレンジ味の四角い飴があった
フィーバーでパンクしてもアタッカーに玉を入れてくれて2400発くらいは頂けた
現金機時代のホール主任には人情があった
昔は忘れ物の100円ライターなどカウンターで貰えた
(今のパチンコ屋はライターでさえくれないボッタクリ)
耳栓がタダだ貰えた
グランドオープンした店で、すべての台に5000円の入った封筒が置かれていた
3回権利物の閉店補償を狙って閉店間近になると権利物の島が満席になった
1日1回はドル箱ぶちまける奴がいた
ドル箱の底から玉を抜いて3、4箱重ねたまま流せるドル箱があった
金髪ロン毛鼻ピアス腰パンの店員が居た
警備員がいなかったので、店員が自転車を整列していた
ゴミだしや灰皿清掃も店員の仕事で、掃除機で灰皿清掃する店もあった
メダル補給の際に連チャンを消した、連チャンが消えたと騒いでる客がいた
勝率100%の時は、出禁になりそうだったり、ヤクザ紛いのチンピラ共にたかられた
昔はコーヒーレディがいなかった
大当たりすると台の上に赤い薔薇の造花を挿していく粋なホールがあった(10回当たると白い薔薇)
昔の台は下皿の球を抜かないと、すぐ球が飛ばなくなった
毎日日替わりのイベントがあった
店長オススメ台、本日爆発予想台などがあったが、ほとんど出なかった
一般台の本日予定終了台は空き台だと出なかった
即時解放する店だと2回以上、打ち止めされてる台をもらえば勝てた(ただし3回目の解放をしない店もあった)
昔は停電になると大当たりが無効になったので大当たり中のおっさんが激怒していた
誰も座ってない台からチンジャラチンジャラと聞こえ、座ってみるとドル箱一箱以上出てきた
どこかに引っ掛かって玉が出ないときが、しょっちゅうあった
昭和の頃はパチンコ必勝法なる単行本をパチンカーは必ず買ってた
40才以上専用の激甘シルバーシート台があった
まずレシートが無かった。 玉流すとこがカウンターしかなく、流したら景品もらってた
元はスロットマシンが葉巻やガムの自動販売機だった
板ガムの板からバーになったし、チェリーや7図柄は後からできた
フルーツが揃えばその味のガムが貰えた
タクシーの運ちゃんはパチスロ自体をナナと言ってた
アレンジマンを独占入荷して他店に売らせなかったチェーン店があった
BARが揃った時は小指を立ててベイビーという
バケに関しては①ビッグがレグに化ける②ロックンロールのレグ図柄がお化け
この2つの説があるが①説を唱える人の中にはロックンロール以前から使っていたと言っている

8: 名無しさん@ドル箱いっぱい 2016/07/12(火) 07:49:02.11 ID:eM1N2iPh
昔は錆びたパチンコ玉が沢山混じっていた
大当たり中玉が詰まって出てこなくなる事がよくあり自分で台の上をパカッと開けてホースの部分を叩いていた
真っ黒になった玉とかあった
閉店間際に確変継続してると翌日朝イチで確変中の台を打たせるサービスあった
川崎の店で主婦売春が見つかり数人が逮捕されたことがあった
出球貸し球中にビーチボールみたいに虹球仕込んでおいてそれカウンターにもっていくと数百円程度の景品の福引きがあった
そこそこ好評だったけど「出たのに拾えなかった」クレームとか通常日の回収が面倒ですぐ終わった
昔のジジババは優しい人が多かった
客が10人くらいしかいないお店で朝一に行くと玉1000円分サービス遊戯中は缶ジュースやみかんを配る っていた
昔の羽根物は4000発終了が基本で2.5円は3000発終了
役物がなかった
昔は1回交換の時に上皿に500円分ほどの玉を残して交換するセコい人がいた
1K40回ぐらい回る台とか普通にあった
コカコーラの自販機がほとんど無かった
客よりも店員が威張りくさっていた
呼び出しボタンを押して店員が来る前に消さないと店員に怒られた
隣に座った見ず知らずの人とも、息が合えば飲料のやり取りを行っていた
昔の休日はパチンコ屋に行くのが楽しみだったが今はその逆
パチンコ屋に併設されたスマートボール屋があった
自販機にはホームアップがあった
中高年が多く働いていた
昔は島の端っこに両替機を兼ねた玉貸し機が有って、極稀に残り9000円を取り忘れたw
台間サンドは基本100円玉でないと玉貸し不能なホールばっかりだった
JETカウンターから出て来たのは、帯状のパンチングリボンだった
スーパーコンビ等の一発台で、タイムサービス10000個を開催するホールが有った
遊技スタイルは基本1回交換で、無制限遊技はスロのAタイプだけだった そのため、パチは同じ台での20万勝ちは夢のまた夢だった
大半のパチ屋が寮完備で、夜逃げ君や前科者が店員となり、絶好の隠れ蓑になってた
平成に入った頃、三重県に宿泊出張に行ったらスロが無くて愛知県まで打ちに行ったw
パチもスロも呼び出しランプに大当り情報も回転数表示も無かった為スロは野生のカンで出る台を予想するしかなかった
博打場で低姿勢なんて誰も求めてない、という事は参加人口の激減が証明してる(おじきよりも、玉出せと言いたい)
台の灰皿に吸い殻が溜まってるかどうかで、台の良し悪しの判断材料になった
しかし個人のタバコ消費ペースによって根拠はない
上皿にタバコを押し付けられた跡があって溶けてた台が何台もあった
学生服のまま打てたが、抜き打ちで私服警官の巡回があるから上着だけは脱いでてくれって言われた
補導員が巡回してた(今でも覆面は巡回している)
パチンコ台のガラスを全部叩き割った人が新聞に乗ってた
そもそもプッシュボタンがなかった
小箱 800発 羽根物やチューリップ台に置いてある
1500発ぐらいの箱 大量出玉の羽根物の時によく見かけた中途半端な大きさ
2000発ぐらいの箱 フィーバー機はだいたいこれ
4000発ぐらいの箱 一発台や権利物
6000発ぐらいの箱 3回権利や一発台でも見かけた
中古台が5千円で買えた
数百円で遊べた時代の最大の理由は、完走率の低いオール13個戻しだったから
all10なら100円で2鳴きはしたから遊べた。マックスの15賞球は500円で1から2鳴きだった
羽根ものの話は100円35ヶ時代と25ケ時代が錯綜してしまっている
昔の上野はバチンカーには伝説の聖地だった
1990年前後のパチンコ界は、活気があって平和で熱くて楽しかった
玉が詰まる度にVに玉入れてくれてた(今は謝るだけで何もしてくれない)
小冊子の代わりに上板にリーチ案内が貼ってありました
オーナーの馬がG1勝ったらしくそのとき打ってた客全員にドル箱1箱ずつ玉配ってた
スロは回転早すぎて目押しが難しかった
ちんどん屋が駅前練り歩いたり 選挙カーみたいな新装時専用の宣伝カーもあった
今の台みたいに馬鹿みたいなハマりなんてなかった
中国人とか中東系の奴等が異常に多かった
店で小学校くらいの女の子がビッグシューター打っててワロタ
その子が当たったら店員のおっちゃんも「おー、上手だなー」とか言ってニコニコしてたしおまけに店内を犬が走り回ってるし何でもありだった
昔は台の建て付けが悪かったのでハンドルや下皿を引っ張ったりして自力で寝かせを変える事が出来た
正月は子供が打ってても怒られなかった

11: 名無しさん@ドル箱いっぱい 2016/07/12(火) 08:06:48.55 ID:n7MQt93n
CR機が浸透してきた中での海やルパンの時短期はマイルドで人気がありました。

12: 名無しさん@ドル箱いっぱい 2016/07/12(火) 09:02:22.52 ID:xsV7sLGt
私の地域ではCRモンスターハウスの
魔女を『お姫様』と呼んでたオジサン
が多かったです

20代でしたが真似をして呼んでました