derby32

▼読む前に知っておいてほしいコト【競馬が知らない人】

調教師:馬を訓練する人
厩務員:馬の世話をする人

 

▼日本最強馬の勝負精神【シンザン】

1963年にデビュー。戦後期の日本競馬を代表する競走馬で、1964年の日本クラシック三冠馬(日本では数頭しか成し遂げていない偉業)。19戦15勝(2着4回)のパーフェクトな成績。

調教師の武田文吾と主戦騎手の栗田勝(武田文吾の娘婿)が対立し栗田は飛び出します。
その後やけざけによって騎乗依頼をすっぽかしたことにより騎乗停止処分を受け、
レースに乗れなくなってしまいました
レースは松本善登の騎乗となりましたが、
シンザンは見事勝利します。

レースは実況をしていたアナウンサーも
シンザンが消えた!
カメラでは写しきれず外側を走って勝つという内容でした。
これは騎手の内馬場が荒れて、馬場読みの好プレーだと思われてた。

後日談としてある人に大外を付いたことを褒められた松本善登は無我夢中だったのでどこを通ったかよく覚えていないといったそうです。それじゃあ、あのコースを選択したのは誰なんだとその人が聞くと松本はポツリといったそうです「シンザン自身だ」と。

馬は騎手がいないとペース配分もできないところか、レースでは勝てません。しかし、名馬と呼ばれるような馬は、シンザンのように“勝ち方”を知っていると言われることがあります。

▼自身の苦痛をおしてパートナーを気遣った【キーストン】

1964年にデビュー。日本ダービー(最高峰のレース)等を勝利。25戦18勝。阪神大賞典の競走中に左前脚を脱臼し、予後不良となり安楽死の措置がとられた。

最後の直線まで余裕を持って先頭を走っていましたが、突然骨折し転倒。
山本正司騎手は地面にほうり出され、脳震盪でしばらく意識を失いました。
その時、キーストンが一歩一歩折れた足の痛みを我慢し引きずりながら気を失っている騎手が倒れているところまで戻り、
安否を気遣うように鼻づらを顔にすり寄せました。
左前脚の骨が折れ、皮膚だけで繋がっている宙ぶらりんの状態で。

「あー、えらいことになった。と思いましたが、
気がつくとすぐそばに、キーストンがいたんです。
ということは、そこから離れていったのに、
また僕のところに帰ってきたわけですよね。
そういうことは朧げに理解できました。
それからキーストンは膝をついて、
僕の胸のところに顔を持ってきて、鼻面を押しつけてきました。」


山本正司騎手の言葉

「普通の馬であれば、三本の脚で歩くことはない。」

アナウンサー・杉本清さんの言葉

馬が顔をすり寄せている時の写真

馬は4本の脚で歩けなくなると、本当に苦痛な思いをするので、安楽死処分となるのが普通。ファンは、「もう歩かなくていい!」と叫んだが、馬は共に戦った騎手のもとへ駆けつけた。

▼天才・武豊を救った【サイレンススズカ】

出典www.ne.jp

1997年にデビュー。宝塚記念等を勝利。
16戦9勝。
とてつもない大逃げでファンを魅了した。
天皇賞(秋)において故障を発生し、
予後不良となり安楽死の措置がとられた。

サイレンススズカはいつも通りのハイペースの大逃げ。もはやカメラの引き具合が限界を超えるのではないかと心配になるレベルでした。そして第3コーナー付近で骨折を発生します。

脚が折れ、バランスを崩し、落馬しそうになった時、
サイレンススズカは折れた脚で踏ん張って体勢を持ち直し、
騎手の落馬を防ぎました。


普通の馬であれば倒れ込みます。

もし、武豊騎手が故障時点で振り落とされていたら、
いくら大逃げとは言っても猶予は数秒しかなく、
後続の馬群との接触で大事故に繋がっていた可能性があります。

「スズカが守ってくれた」


レース後、武騎手が橋田調教師に言った言葉

「ディープインパクトが最も勝ちにくいタイプの馬だろう」

武騎手が最強馬・ディープインパクトと同等の評価をした。

1年後、武騎手は再び同じ舞台に帰ってきます。そして、見事勝利します。インタビューで武騎手は「ゴールの瞬間、まるでサイレンススズカが後押ししてくれた」と語っています。





▼人と馬のため、時には悔しさをこらえる【横山典弘】

トップジョッキー
2000勝を達成し、
JRA賞最高勝率騎手等、
数多くの賞を受賞している。
騎乗の技術日本一と言われている







調教師が横山騎手がスランプになれば容赦なく、
乗り替わりを命じた。
凱旋門賞挑戦(世界最高峰のレース・フランス)ということもあり、ここで降ろされるのは騎手に不名誉。
鞍上には武豊騎手で決定

厩務員は横山騎手とのコンビで凱旋門賞に挑戦したい、
そのときは武豊騎手が敵に思えたといいます。
その知った横山騎手が仏の厩舎に来て、
「俺の目の前で豊と握手しろ」と。
その日は武騎手が調教(馬の訓練)で乗る日でした。
「良太、ごめんな。調教は見ないで帰るよ」と。
実際に見るのは辛い、
でも厩務員と馬のためにとった行動でした。

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